第23回岳南会戦没者等慰霊祭が6月4日(日)に行われました。

 護持会から岳南会本会が主催を引き継いで2年目となる岳南会戦没者等慰霊祭が、去る6月5日、貞祥寺慰霊碑前でしめやかに行われました。毎年6月第1週の日曜日が例会となっています。

 数日前の時ならぬ大雨の後、よく晴れわたった初夏の柔らかな日差しの中、貞祥寺ご住職岡本春海師の深い読経の声が緑の木々の間に流れ、参列者一同237人の先輩方のご冥福と平和への誓いを新たにしました。

 今年は、初めて生徒代表が慰霊祭に参列し、吉岡徹同窓会長、柳沢敬野沢北高等学校長とともに、大先輩の皆さんを偲び追悼の言葉を捧げました。生徒会長の石井勇多君です。70年以上の時を隔てて、なお野沢北高校の良心が豊かな流れをしっかりとつくり、そのように未来に繋がっていくことを実感しました。
 また、地元の友人の誘いもあって、遠方から初めて参加された62回生の女性もいらっしゃいました。来年に向けて、遺徳を偲んでより多くのみな様がこの碑に足を運んでくださることを、役員一同期待いたしております。
 以下に、同窓会長、学校長、生徒会長それぞれの追悼の辞(全文)を掲載します。

 <吉岡徹同窓会長>
 本日ここに、第二十三回岳南会戦没者等慰霊追悼の会が営まれるに当たり、母校同窓会・岳南会を代表して追悼の辞を申し上げます。

 先の大戦で英霊となられ、母校を見下ろすここ貞祥寺の高台に合祀させていただきました二百三十七人の先輩の皆様、あの大戦が終わって本年で七十八年になります。この間世界は必ずしも平和一筋ではありませんでした。残念ながら昨年よりまたヨーロッパでは領土を占奪しようとする大国による悲惨な戦が勃発し、今なお続いています。平和を心から希求されながら、心ならずも人生を未完のまま閉じざるを得なかった先輩の皆様も、天上からこの現状を憂慮されておられることと存じます。

 このような状況において私たち後輩は、戦後一貫して築いてきた「平和日本」、その根幹を成す「非戦の誓い」をかみしめ、二度と戦争への道を歩まぬよう、全力を挙げて参りますことを、ここに改めてお誓い申し上げます。

 母校は、本年開校百二十二周年を迎えました。昨年十月にはコロナ禍で周年遅れとはなりましたが、開校百二十周年を祝う記念式典を約一千名の参加者を得て盛大に挙行いたしました。本日こうして皆様の御霊に向かい合いますとき、この百二十年という年月の重みを改めてひしひしと感じます。

 さて、昨年ご報告申し上げました佐久地域の今後の少子化を見据えての母校、野沢北高校と、野沢南高校との統合による新校創設の件でございますが、新校の校地は母校の現在地とすることが決定いたしました。新校の具体像はこれから詰めていくことになりますiが、校地の拡張を始め克服すべき大きな課題があります。また、新校に我が野沢北高校の伝統と文化をいかに継がせていくべきか、これも大きな課題であります

 数年後、皆様にこの高台から生まれ変わった素晴らしい新校を見ていただけるよう、地域とも連携し我々の総力を挙げて取り組んで参ります。
 以上、私たち後輩の現在の思いの一端と母校の状況をご報告申し上げ、追悼の言葉と致します。
 どうか安らかにお休みください。

合掌

 <柳沢敬学校長>
 本日、戦没者等慰霊祭が営まれるにあたり、野沢北高等学校を代表し、謹んで追悼の誠を捧げますとともに、ご遺族の皆様に心からの哀悼の意を表します。

 初夏の爽やかな風が、佐久の大地に吹き渡っています。

 先の大戦終結から78年、令和5年(2023年)となった今年も、本学で学問の扉を開きながら志半ばで、戦禍に散華された、先輩方の英霊に、平和を誓う日がやってまいりました。

 昨年秋、本校は創立120年の記念式典を挙行することができました。輝かしい歴史と伝統を誇り、新時代に向かう野沢北高校の未来を語り合う時、若くして望まぬ戦禍に倒れ、家族や友の待つ佐久の大地に帰る夢が叶わなかった先輩方を想うと、胸が痛みます。

 安らかな眠りの中で日々見下ろす、母校の後輩達と浅間山、そして今の日本と世界は、どのように映っているでしょうか。

 今年1月24日、アメリカの原子力科学者会報が公表した、人類の終末時計は、「残り90秒」となりました。ロシアによるウクライナ侵攻による戦禍の拡大と核兵器使用のリスク、盲目的に覇権主義に突き進む米中の対立と翻弄される第三国。日本が渦中にある台湾海峡や北朝鮮を巡る問題、悪化の一途をたどる日本と中国やロシアとの国家間対立。さらに、パンデミックや気候変動、環境問題など、人類が土俵際まで追い込まれている現実を感じ、先輩方の命がけの願いに応えられていない現状を、ひしひしと感じています。

 本校の卒業生は、佐久地域、国内外を問わず、あらゆる場所で活躍しています。今、野沢北高校で学ぶ在校生も、それぞれの進む道で、易きに流されることなく、常に真・善・美を追求し続け、各分野で、平和な世界を実現するために、主体的に行動できる、そんな骨太な人間に成長できるよう、教職員一同支援してまいります。

 結びにあたり、野沢北高校の生徒、教職員が目指す明るい未来を実現するための大前提は、平和な世界の実現であることをここに宣言し、慰霊の言葉とさせていただきます。

 どうぞ、安らかにお眠りください、そして後輩たちをお見守りください。

合掌

 <石井勇多生徒会長>
 初夏の晴れ晴れとした青空がうれしい季節となりました。本日、長野県野沢北高等学校戦没者等慰霊祭に、参加する機会を与えていただきましたことに心から感謝申し上げます。

 平成13年に慰霊碑が建立されて以来24年、慰霊碑建立発起からこれまで幾多の紆余曲折があったことと推察いたします。そして232名の本校OBの戦没者に篤き賞賛と深い哀悼を捧げるとともに、現代を生き、本校に在籍している重みを痛感いたします。

 私は2年生の時に修学旅行で沖縄に行きました。ウクライナ情勢が緊張を増している現在、沖縄戦で多くの学徒の生還を助けた第3回卒業生、小池勇助軍医の功績に触れたり、地上戦を経験された沖縄の方々の平和を願う思いに接することができたことは、未来を生きていく私たちの胸に大きな財産として残りました。

 私たちは、平和学習を通して学んだことを胸に、貞祥寺と慰霊碑に見守られながら、野沢北高等学校でより一層の学校生活に邁進し、勉学に励んでまいります。

 誠に簡単ではありますが、野沢北高等学校戦没者等慰霊祭にあたり、生徒を代表してのご挨拶とさせていただきます。

 ありがとうございました。