第25回岳南会戦没者等慰霊祭が行われました。- 2025年6月1日

 4半世紀を経て、今年も岳南会戦没者等慰霊祭が去る6月1日(日)、初夏の光が欅の葉裏に揺れる貞祥寺慰霊碑前でしめやかに行われました。毎年6月第1週の日曜日10時30分が例会開始の定刻となっています。
 昨年から広く岳南会支部役員の皆さんにもご賛同いただき、今年も40人を超える多くの参列者が集いました。また、この日を「平和を考える日」に定めている野沢北高校から、生徒会と「世界を考える会」合わせて5人の生徒が参加、80年の時を隔てて、なお野沢北高校の良心が豊かな流れをつくり、未来に継承されていく姿を強く印象づけました。
 野沢北高校を望む高台に貞祥寺ご住職岡本春光師の深い読経の声が流れ、参列者一同237人の先輩方のご冥福を祈り、非戦への誓いを新たにしました。

吉岡徹会長

栁田清二市長

 主催者を代表して吉岡徹同窓会長、学校を代表して校長の柳沢敬先生、また生徒を代表して生徒会長の3年永井柊(ながいゆう)さん、「世界を考える会」の3年北沢壬悠(きたざわみゆう)さんが追悼の言葉を捧げました。

柳沢敬校長

中島則保村長

北沢壬悠さん

永井柊さん

 さらに参列者を代表して栁田清二佐久市長は、野戦病院「糸洲の壕」(糸満市)の整備と今春早々の竣工式にふれ、複雑な思いを持つ沖縄の皆さんに理解していただけたこと、そして平和学習への責任と決意を語りました。小池勇助軍医(3回)が、吉丸一昌が安曇野の春を清冽に表現した「早春賦」の歌唱を、郷里佐久の記憶に重ねて「ふじ学徒隊」の女学生に願ったエピソードも紹介、瞬時、揺れる心に思いをはせたことでした。
 また、中島則保南相木村長は、1985(昭和60)年、村の入口に「不戦の像」が建立された経緯を紹介、自身の家族にもあった戦争の深い傷にふれながら、歴史の見方を点から線に、さらに線から面に更新し、平和を保つ考察を続けていくことの大切さを述べました。
 慰霊祭終了後、会場を移して会食。三浦博之松本支部長のご発声で献杯し、先輩方を偲ぶ時間を過ごしました。
 
 同窓会長、学校長、永井さん、北沢さんの追悼の辞(全文)は別掲のとおりです。

<吉岡徹同窓会長>  追悼の言葉
 第25回岳南会戦没者慰霊式に当たり、岳南会を代表して追悼の意をささげます。
 先の太平洋戦争において犠牲になられた237名の先輩の皆様、あの大戦が終結した昭和20年から80年が経過しました。
 皆様を失ったあの忌まわしい戦争の反省に立って、非戦の誓いを高く掲げて制定された日本国憲法のもと、私たちは今日まで、内外ともに一切の戦火を交えることなく、平和な時を過ごしてまいりました。
 しかし、世界の現状は平和一筋では決してありません。ロシアによる3年余に及ぶウクライナ侵攻、また一昨年10月に再発したイスラエルとパレスチナのガザ地区をめぐる紛争も、それぞれ数万人の死者と数十万人の難民を生じつつなお終息の見えない状況が続いております。
 このような状況において私たち後輩は、戦後一貫して築いてきた「平和日本」、その根幹を成す「非戦の誓い」を改めてかみしめ、二度と戦争への道を歩まぬよう、決意を新たにしております。
 当佐久市は本年1月、私たちのこうした思いをも包含する施設として、ここに居られます、本校第3回卒業の大先輩、小池勇助軍医が率いた沖縄県糸満市糸洲の女子学徒隊野戦病院跡の壕を、平和への思いを新たにする場として整備しました。多くの人々、なかんずく修学旅行で沖縄を訪れる全国の高校生諸君にはぜひ訪れてほしい施設であります。
 さて、母校、野沢北高校と、野沢南校との統合再編による新校創設の進捗状況についてですが、新校を佐久地域随一の進学の拠点校にするべく、柳田佐久市長を会長とする推進協議会のもと、先ずは車歩分離による生徒の通学の安全確保のためにとかねてより強く要望してきた校地の拡幅につきまして、昨年10月、現校地西側に車両ロータリーおよび駐車場用地として5,800㎡の土地を確保するという大きな前進を見ることができました。まだ課題は様々に残っておりますが、四年後の開校に向け着実に進展しつつあります。
 一方でまた私たち岳南会としては、我が野沢北高校が125年にわたって築いてきた伝統と文化をいかに新校に引き継がせていくべきか、これも大きな課題であると認識しております。
 以上、私たち後輩の現在の思いの一端と新校創設への状況をご報告申し上げ、追悼の言葉と致します。
 この高台から母校を見守りいただきながら安らかにお休みください。

合掌

 

令和7年6月1日
長野県野沢北高等学校同窓会
岳南会 会長 吉岡 徹

<柳沢敬校長>  追悼の言葉
 第二次世界大戦の終結から80年、節目となる今年も、佐久の大地に爽やかな風が吹き抜ける季節を迎えました。

 令和7年度の戦没者等慰霊祭、野沢北高校「平和を考える日」にあたり、御遺族並びに岳南会関係の皆様、柳田佐久市長様をはじめ地域の多くの皆様の御参列を賜りましたこと、野沢北高校を代表して心より御礼申し上げます。

 今、世界の人々は、まるで100年の歴史を遡ったかのような時代を生きています。世界各地の戦場では、罪のない子どもや女性、高齢者ら社会的弱者の未来や命が奪われ続けています。多様性を無視した大国の過激なナショナリズムが政治や経済の対立を生み、国境を越えた交流の障害は大きくなり続けています。日本も例外ではなく、時代は戦後ではなく戦前の様相を呈しています。

 先の大戦において、故郷を遠く離れ、世界各地の戦地で散華された、本校ОBの237の英霊に、改めて哀悼の意を捧げますとともに、御遺族の皆様方には、深い悲しみを抱えながら、激動の戦後を力強く生き抜かれ、平和な世界の実現に貢献されておられることに、心より敬意を表します。

 野沢北高生は今日も、県大会の舞台で仲間とともに勝利を目指す者、難関大学合格を目指し学業に励む者、文化活動の集大成として日輪祭の準備に勤しむ者、それぞれがかけがえのない青春を謳歌し、魂を燃やし続けています。

 未来永劫、野沢北高校の生徒、教職員は、国家や人種、宗教等あらゆる壁を超えて科学技術の進歩と社会の発展を目指すとともに、思いやりの心を大切に世界の平和、人類の幸福のために学び続けることを誓い、暴力や武力行使による紛争の解決に反対し続けます。志半ばでかけがえのない人生を奪われた先輩方の思いを、私たちは決して忘れることなく、後世に語り継ぎます。

 237名の先輩方におかれましては、どうか浅間山を背に佐久の大地で日々躍動する後輩を、叱咤激励し温かく見守っていただきながら、安らかに眠られることをお祈り申し上げ、野沢北高校「平和を考える日」の慰霊のことばとさせていただきます。

 

令和7年6月1日
長野県野沢北高等学校 校長 柳沢 敬

<生徒会長 永井柊>  追悼の言葉
 初めまして。 野沢北高校生徒会長の永井柊です。
 私は去る1月29日、30日に沖縄に行き、平和記念公園での慰霊祭、及び糸洲のガマの整備竣工式に参加させていただきました。
 最初に、平和祈念公園にて、追悼式に参加しました。 そこでは沖縄戦を含む戦争で亡くなった方々を追悼するための慰霊碑などがあり、碑に掘られた名前の数が戦争の悲惨さを物語っていました。 その後、糸洲のガマへ移動し、竣工式に参加しました。
 佐久市が中心となり行われたこの工事は、今後沖縄を訪れ、平和学習を する人たちへ、戦争中の状況を体験することのできる学習の場にするために行われました。
 私はこの2つの場所を通して思ったことがあります。それは、平和の尊さ、他人への思いやり、そして今後戦争を起こしてはいけないという固い決意です。小池軍医は自害する直前まで学徒のことを最優先に考え、無事に帰って 欲しいと思い続けて戦いました。その行動の根底には、常に人のことを思いやる心があったのだと思います。私もそのような心を持ち、行動できるようになりたいです。また、戦争におけるメリットというのはほとんどありません。特需景気などはありますがそれも一瞬の出来事です。戦争中そして終わった後のデメリットを考えると、戦争をしていい理由は一つもありません。
 昨今、グローバル化が進み、他国との関係が密接になりつつあります。他国とのより一層良好な関係を築くことが大切だと思います。そしてなによりも我々を含めた、戦争を知らない世代へ、戦争で亡くなられた先輩方の無念や、平和を思う気持ちを引き継いで行くことが大切だとおもいます。今後戦争を起こさないためにも過去の悲惨な出来事を語り継いでいくべきだと深く感じました。
 最後になりましたが、過去の戦争で亡くなられた方々へのご冥福をお祈り申し上げ、弔辞とさせていただきます。

<「世界を考える会」代表 北澤壬悠>  追悼の言葉

 田んぼに青々とした苗が広がり、初夏の風が頬を撫でる季節となりました。本日、この戦没者等慰霊祭に野沢北高校の生徒として参加させていただけることを、心から感謝申し上げます。
 今から丁度80年前に終わりを迎えた第二次世界大戦で、その尊い命を散らした237名の先輩方。私たちが80年前の先輩方の生活や思いを上手く想像できないのと同じように、きっと先輩方も80年後がこんな未来になっているなど予想もできなかったことでしょう。しかし、皆さんが作り上げた野沢北高校の伝統は今も私たちに引き継がれています。あなた方が青春の時を過ごした学び舎で、今私たちは日々文武両道に励んでいます。その中で、戦争がいかに悲惨であるか、命がどれほど尊く大切であるかを学んできました。

 そんな私たちは、国のため家族のためと戦火に飛び込まざるを得なかった皆さんの気持ちを身近に感じることはできません。ですが、今私たちが享受している平和な世界は、皆さんの未来と平和を願う思いのおかげなのだと、そう感じています。無慈悲に幸せも命をも奪い取ってゆく戦争を肯定するつもりは一切ありません。あまりに大きすぎる犠牲の代償として得た、この豊かで幸せな日々を後世に残していくことこそが私たちの使命です。

 しかしながら、残念なことに今も世界の戦火は無くなっていません。ウクライナやガザ地区での戦争に加え、インドとパキスタン、台湾と中国、アメリカと中国など、世界中の様々な地域で啀み合いが激化してきており、不安な日々を過ごしている方がいます。日本においても、止まらない物価高に米不足、政治家の汚職などが重なり、不安が町を覆い隠そうとしています。しかし若い人の政治離れは進みつつあり、友との対話でもそのことを実感する時があります。

 私たちはまだ子どもです。学生です。力も知識もほんの少ししか持っていません。それでも、私たちは「世界を考える会」で、ピーストークや国際交流などに参加することで、戦争や世界について深く学び考えています。世界の恒久平和と日々の幸せのため、今後も貪欲に学び、挑み続けることを誓います。
 我らが野沢北高校の先輩方、どうか私たちを見守ってください。皆様のご冥福を心からお祈りして、慰霊の言葉とさせていただきます。